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【Interview】せきぐちゆき「境界線クライシス」

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それは、天国か地獄か!? 希望か絶望か!? シンガーソングライター、せきぐちゆきの、約3年ぶりとなるフルアルバム「境界線クライシス」が完成! 苦難を乗り越え、驚くほど豊かになった表現とサウンドに圧倒される珠玉の1枚。


【同じように境界線の上で日々戦っている人たちにも共感して、勇気に変えてもらえるんじゃないかなって】


—純粋なフルアルバムとしては『心絵〜人が空を見上げる時〜』以来約3年ぶりと、久々のリリースとなりましたね。

せきぐち:そうですね。昨年、『もう一度私と恋をして』というシングルをリリースしたんですが、カップリングとして『もう私には何もない』という曲を収録したんです。タイトルからも想像できる通り、精神的にボロボロだった頃に作った曲だったんですが(笑)、この曲を書いてから、なんとなく今作の世界観が見えてきたんです。歌うことがものすごく好きなんだけど、その反面、歌に対する恐怖心みたいなものも強くて、常に苦しみながら、一方で爆発的なまでの喜びを感じながら、歌を歌ってきたんです。その中で、苦しみの方が勝ってしまった時に生まれた曲だったんですね。そいう自分の、行き詰まった叫びとか、心の葛藤を素直に作品に反映していくことが、今の自分にとって、一番共感してもらえるんじゃないかなと思って。

—『もう私には何もない』は、確かにとても印象的な曲でしたが、せきぐちさんにとってターニングポイントともいえる大事な存在だったんですね。

せきぐち:それ以来、素直に苦しみを受け止められるようになったんです。それまでは「こんなことじゃダメだ」「苦しみを早くなくさないと」みたいに考えてしまっていたんですよね。

—今作は、その後自然に生まれてきた曲たちを中心に収録されたということでしょうか?

せきぐち:はい。アルバムのテーマを決めてから作り始めたわけではなく、自然とアルバムになっていった、みたいな。ため込んでいた曲からも抜き出して作り直して、結果、自分の心の揺れとか、もがき苦しんでいる状態が色濃く出ている曲を多く選んでしまっていましたね。だから、これまでの私の作品には恋愛の歌が多かったんですけど、今作はそうじゃない歌も多くて。

—確かに、もっと普遍的で、だからこそより多くの人が共感できる内容になっているなと感じました。タイトルの『境界線クライシス』はどこから?

せきぐち:「クライシス」という言葉には「危機」とか「分かれ道」とか「重大局面」というような意味があるんですが、ものすごく細い境界線の上で綱渡りをしているような、そういう精神状態のイメージですね。私、ライブをやっている時っていつもそういう感覚なんですよ。で、一瞬その綱を踏み外してふわっと落ちていく時に、ものすごい快感を感じる(笑)。だけど人は誰でも、大きな不安を抱えていたり、危うい状態にあって、境界線の上を渡り歩いているような感覚を持っていたりするじゃないですか。そういう意味で、誰にとっても身近な言葉でもあると思うんですよね。

—1曲目の『egg』は、そんなアルバムの内容を象徴するような曲でもありますよね。歌詞にも<ああ 溢れそうな ああ よろこびだろうか ああ 怒りだろうか>という、相反する感情を描いた表現があったり。

せきぐち:そうですね。私、写真家の佐藤健寿さんが大好きなんですが、その方の「奇界遺産2」という写真集の中に、チェルノブイリ原発と隣接している、ウクライナのプリピャチという街の写真があったんです。原発事故があって、放棄された街となってしまっているんですが、そこの真っ白な雪の森に、大きな卵がどんとおいてあるんですね。その卵は、かつてそこに暮らしていた人たちが夢を詰め込んだタイムカプセルらしくて、その写真を見た時、「ここには何が入っているんだろう?」「いつ誰がこのカプセルを開けるんだろう?」「その時この街はどうなっているんだろう?」って、いろんな疑問や感情が一気に噴き出したんです。そこからさらに、自分たちの世界に、得体の知れない卵がポンと置いてある映像が浮かんで。それは、得体が知れないんだけど実は誰もが知っていて、その卵が割れた時が、この世界の転機になる。みたいな想像が膨らんでいったんですね。

—なるほど、せきぐちさんらしい切り口です。

せきぐち:だけど私が今暮らしているこの世界って、全てが転機でもありますよね。私たちの行動によって、未来が決定していく。その象徴としての卵が、ある日みんなの前に提示されたら、どんな反応になるのかな? って。そういう想像から一気に書いた曲ですね。

—この曲から始まって、『踊る薔薇』『蛍火』『ネモフィラの丘』『やさしい悪魔の子守歌』と、ものすごく幅広い表現、世界観の曲が続き、聴き進めるごとに、これまでにも増して濃密なアルバムになっているな、と感じました。

せきぐち:ありがとうございます。アルバムを作る時って、全体をひとつの物語のように捉えて、聴いてくださる方が飽きないようにというのはすごく意識するんです。今回はアレンジに関しても、いつも以上にこだわらせてもらいましたね。

—特にインパクトがあったのが、<あやかし様しか愛せない>という歌詞で始まる『海老クラゲ』でした。おとぎ話のようで、怪談のようでもあり、せきぐちさんにしか書けない曲だなと。

せきぐち:この曲は、ドライブ中にふっと出だしの歌詞とメロディが出てきたんです。それで急いで車を停めて、河原でノートを広げてバーッと書きました。そこに河原が無かったら、忘れてしまって完成しなかった曲ですね(笑)。歌詞をよく読むと少しだけエロティックな内容になっているんです。これも誰もが持っている一面だと思うんですけど、それを絶妙に隠した歌にしたかった。聴いていて、どこか居心地が悪くなるような作り方をしてみたというか。

—そして後半の『ひとりしずか』から、すごく美しく、おだやかな世界に突入していきますよね。これまでにもバラードの名曲はたくさんありましたが、かつてないほど素直な歌詞で、普遍的な魅力に富んだ楽曲というか。

せきぐち:まさに素直に、日記を書くような感じでスルッと書けてしまった曲です。宇宙の中にほわ〜んと浮かんでいるような感覚で、心地良くリラックスして聴いてもらいたいですね。

—そしてラストの『夜明けの風』も素晴らしい曲で、せきぐちさんの現在の心境なんかも強く反映されているのかな? と想像したりしました。

せきぐち:これは、以前何気なく、出だしのフレーズをTwitterでつぶやいたんです。そうしたら「いいね!」みたいな反応をたくさんもらえて、じゃあ曲にしようかなって。メロディーはずいぶん前からあったんです。だけど乗せる詞がなかなか見つからなくて保留になっていたんですが、すっと「あ、この歌詞はあの曲だ!」みたいな。

—Aメロからものすごくしっくりと歌詞とメロディーがはまってますよね。

せきぐち:この曲はこの歌詞を待っていたんだなって思いましたね。

—本当に、これまでの積み重ねや、辛い時期を乗り越えた経験が一気に花開いたかのような、充実のアルバムになりましたね。

せきぐち:ありがとうございます。実は私、このアルバムの歌入れに入る時期に喉を壊してしまって、2ヵ月半くらい歌が歌えなかったんです。その時の落胆、悲しさといったらなくて、歌を歌えることがどれだけ幸福だったかということをあらためて実感しました。そういう意味でも、この作品が完成したことで、自分自身も本当に救われたんです。なので、同じように境界線の上で日々戦っている人たちにも共感して、勇気に変えてもらえるんじゃないかなって思っています。


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ALBUM
「境界線クライシス」
2016.11.9
POCE-3085

【Profile】
栃木県宇都宮市出身のシンガーソングライター。2004年1月、シングル『ドライブ』でインディーズデビュー。2005年2月にシングル『桜通り十文字』でメジャーデビュー。2009年のシングル『風と共に』は、石原裕次郎23回忌のイメージソングに抜擢され、同年7月5日に行われた国立競技場での「石原裕次郎二十三回忌祭典」でも、コーラス隊によって披露された。2011年6月にリリースしたアルバム『素顔〜愛すべき女たち〜』が第53回輝く!日本レコード大賞【優秀アルバム賞】を受賞。
http://せきぐちゆき.com/

【Interview】艶も酣 -Enn Mo Takenawa- プロデューサー 山岡 晃

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世界的サウンドプロデューサー / ゲームデザイナーである「山岡 晃」と、謎の女性シンガー「Akira Komatsu」。2人の出会いが科学変化を生む新プロジェクト「艶も酣-えんもたけなわ-」が始動! 恐怖、戦慄、不安、畏怖……そしてその先にある触れがたい美しさ。誰もが未知の音楽体験が、ここに!


【感想を聞いたら、半分くらいの人に「聴けない」と言われてしまったんです。それを聞いて「やったぜ!」と思いましたね(笑)】


—まずは、まだ謎の多い「艶も酣」自体についてお聞きしたいのですが、山岡さんが始められた新しい音楽ユニットと考えて良いのでしょうか?

山岡:ユニットというよりは、ひとつのプロジェクトと捉えてもらった方がいいかもしれません。音楽活動というと、ユニットとかバンドという形態が一般的ですが、この艶も酣に関しては、今度どんなメンバー編成になっていくかもわからないし、今回は1枚のCDアルバムを作りましたが、次にどんな形の表現を使うかもわからない。音楽って、曲を作って、CDをリリースして、ライブをやって、というような基本の形があると思うんですが、もっとそういうものにとらわれない表現チームみたいなものになっていくといいなと。

—現在山岡さんご自身の中に、今後の具体的なビジョンみたいなものはありますか?

山岡:『遺言桜』を作ってみて感じたこと、次につながるイメージなどはいろいろと浮かんでいますね。また、今作が初めて世の中のみなさんに触れていただく艶も酣の世界になりますが、それがどのように受け止められるかということも、今後の活動に影響していくと思います。これからやってみたいことと、自分でも読めない部分が共存しているという感じでしょうか。

—そもそもこのプロジェクトが生まれたきっかけは?

山岡:もともと僕が、海外のゲームの仕事で、女性の歌モノの曲を作っていたんです。その時に縁あって知り合い、歌ってもらったのがAkira Komatsuさんという女性シンガーだったんですね。その出会いがきっかけで、「また何か一緒に作ってみようか」ということになって。

—ここが最も気になるポイントでもあるんですが、Akira Komatsuさんの存在が謎に包まれていますよね。これまでリリース歴があるわけではないのに、驚くほどの表現力と、独自の世界観を持っていて。

山岡:歌が上手いとか、声が美しいとか、そういったものを超えて、「表現したい」という熱意をすごく持っている方です。何気ない会話をしていても、節々にそういう意思が感じられる。そして今作では、そんな彼女の個性を存分に発揮してもらうことができたんですが、どうやら表現したいことの引き出しはまだまだあるらしい。そこにすごく刺激をもらえるんですよね。単純に曲を作ることが楽しい。作っている最中は、僕自身もどんなものが完成するのかわかっていなかったんですよ。

—すごい才能を持ったシンガーなんですね。それでは、そういった純粋な創作意欲を思い切り表現できるのが、艶も酣での活動というわけなんですね。

山岡:そうですね。僕はこれまでホラー系のお仕事を多くやってきたせいか、怖いもの専門というイメージを持たれることも多いんですが、別にそれだけを追及したいわけではないんです。今作では、Komatsuさんが全ての作詞を担当してくれたので、じゃあ彼女が持ってきてくれたものに対してどんな音をぶつけるか、自分の中の引き出しを自由に使って作れた感じですね。

—実際に聴かせていただいて、本当にその世界の中に取り込まれてしまいそうというか、圧倒的な世界観に驚かされました。具体的にこれらの曲をどのように作り上げていかれたのかというのも全く想像できなくて。

山岡:そもそも今って、多種多様な娯楽があって、人に音楽のために時間を割いてもらうこと自体が難しい時代ですよね。だから1曲単位で楽曲を配信したり、みなさんいろいろ工夫されている。だけど今回は、その「どうすれば時間を割いてもらえるか」という部分をあえて全く無視して作ったんです。アルバムというよりは、1つの大きなストーリーみたいなイメージ。だからそのストーリーを彼女と話をしながら考えていくところから制作が始まって。

—ひとつのストーリー、まさにそのようなイメージで聴いていました。しかし本当に、潔いまでに時代の主流とは逆行した作り方ですよね(笑)。

山岡:昔のクラシック、交響曲とかがそうだったと思うんです。1時間くらいかけてひとつの世界を表現する。今の時代って、音楽ツールも方法論も進化して、作り手もどこかパターンに縛られてしまっていると思うんです。リズムがあってベースがあってギターがあって、じゃあこんな曲調でいってみようか、ならばこんな歌詞を乗せてみようか、みたいな。もちろん全員がそうだというわけではいんですが、僕はそれをつまらないと感じて、あえて違うことをしてみたくなってしまうタイプの人間なんですね。もっと「ここでこういう音を鳴らしたら、聴く人はどんな風に受け止めてくれるのかな?」みたいな興味を優先させて作っていきました。

—サウンドの節々に、どこか民族的であったり、人間の根源に迫るような抽象的な音が使われていて、それがとても印象的でした。これも作品の作り方による影響でしょうか?

山岡:そうかもしれないですね。いい音、いいメロディー、コード進行のルールなんかは全く意識せず、とにかく音を聴いて何らかのビジュアルを感じてもらえるようなものにしたかったので、自然とそのような音が多くなっているのかな。

—山岡さんのように、音楽的素養や経験をお持ちの方の場合、逆に基本を無視した作り方が難しいということはないんでしょうか?

山岡:いや、僕はもともと音楽の勉強から入ったタイプではないので、これまでも毎回ルールを取っ払ってものを作ってきたんです。そういう意味では一番素の状態で作ったと言えますね。だから逆に、一番楽でもあった(笑)。

—先ほど、ストーリー作りから入った作品とおっしゃられていましたが、具体的にはどのように作業を進めらたのでしょうか?

山岡:まずは大まかなデモを僕が作り、全体的な流れや、「このあたりに語りが入ったらおもしろいかもね」みたいなヒントを提示さてもらいました。そこに彼女が詞を書いくれて、歌入れしたんですが、そこで終わりではなく、さらに曲を変えていったりしたんですね。というのも、僕自身「そう来たか!」みたいな驚きがたくさんあったので、「ならこう変えてみるのはどう?」みたいに、曲やリズムを全く違うものにしてしまったりした。そのやりとりを何度も繰り返しながら作っていった感じですね。

—すごく手間のかかりそうな作業ですね。

山岡:そうなんです。だから最初のデモはあまり作りこんだものにしなかった。それに、作りこんでしまうとKomatsuさんが抱くイメージも限定されてしまいますしね。例えば「このあたりに絶叫を入れてみよう」となって、実際にお願いすると「あ、そういうパターンの叫びで来たか」みたいな、予想していたものとは違うけどおもしろいみたいなことがたくさんあって、こちらもイメージを刺激されたりして。

—確かに、いろいろな感情表現の叫びが印象的な作品でもありますよね。

山岡:彼女自身は一見そんな風には見えないんだけど、内に秘めたものをたくさん持ってるみたいで。デスメタルとかでもないかぎり、なかなか叫びと歌って同居するものじゃないけど、彼女はごく自在にそういう表現ができて、すごいなぁと思ったりしました。

—また、不気味な印象もあるけれど、どこか美しさも感じさせるような歌詞の世界観がものすごく印象的でした。Komatsuさんの詞を最初に見られた時はどのように感じられましたか?

山岡:全く想像してなかったものでしたね。いわゆる普通の歌詞は1曲もないので(笑)。一般的には使わない難しい言葉や造語もたくさん使われているんですが、それが響きとなって音に乗った時に、すごくおもしろいなと感じました。だからレコーディングも、歌うというよりはどこか演技指導みたいなノリで、例えば『鬼角ニョロリ -おにつのにょろり-』という曲なんかは、彼女の中にキャラクターがたくさんいて、それを歌いわけているんです。

―確かに、何人もの人が歌っているような印象の曲でした。憑依型というか。

山岡:Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん……とたくさんの登場人物がいて、彼女の中ではそれぞれ、年齢や性別、名前や細かいキャラクターまではっきりと決まっている。それを召喚しながら歌うという。

—イタコのような感じで(笑)。

山岡:そうそう、まさに。しかもそういう打ち合わせをしていたわけじゃないんですよ。「すごいなこの人は」って(笑)。

—『遺言桜 -ゆいごんざくら-』や『産断末魔 -さんだんまつま-』のように、どこか歌謡曲のテイストを感じさせるような、きっちりと「歌」の形になっている曲もありましたね。本作においては逆に異質でもあり、だからこそ印象に残るものでした。

山岡:この作品って、例えると「ものすごく食べにくい食材」みたいなものだと思うんです。それを食べてもらうには、食感とか、香り、味付けなどの面で、工夫は絶対に必要ですよね。でないと、「勇気を出して食べてみたら美味しかった」というところにたどり着かない。そういう意味で、キャッチ―さみたいなものも取り入れています。別にそういう要素全てを排除しようと作っていたわけではないので。「奇をてらう」という言葉がありますが、あれって創作活動においては何も得られないと僕は思っていて、尖ったものをどういう風に「良い」と思ってもらえるかを考えることが大事なんですよね。それが作り手の使命だと思っているので。

—具体的なお話になるのですが、例えば『鬼角ニョロリ -おにつのにょろり-』という曲、歌詞とメロディがものすごくはまっていて、音と言葉がその場で同時に生まれているような印象すらありました。どのように作られたかがすごく不思議で。

山岡:この曲のデモは、ピアノの音であのメロディーの単音だけを弾いたものだったんです。他の音は一切なし。そこに詞を乗せていったので、そういう印象になったのかもしれないですね。レコーディングも、リズムすらも入っていない状態でやったので、Komatsuさんは大変だったと思いますよ(笑)。だけど彼女は歌を上手く歌うとか、ピッチを安定させて歌うみたいな技術的な部分は完成されていて、一切心配がいらないので、そういうこともできた。

—本人もどういう仕上がりになるかわからないわけですね(笑)。

山岡:『絶寵花 -ぜっちょうか-』も、デモの段階ではもっと跳ねたリズムだったんです。そのオケでs歌ってもらって、あとからリズムをまるっきり変えてしまった。それによって、ちょっと不思議なグルーヴが生まれているんですよね。

—なるほど、そういう作り方もあるんですね! ところで、Komatsuさんの歌詞についてなんですが、全体を通して、人間の根底、闇の部分をあえて赤裸々に描いてしまおうというような意思を強く感じました。だからこそ、聴く人によっては、不安や恐怖も感じてしまうという。

山岡:彼女とよく話していて、どんな闇かは人それぞれだけど、人間誰しもが闇を抱えているというのは間違いないと思うんです。だけど社会というのは、人には愛情をもって接して、家族は円満で、平和で幸せに満ち溢れている状態、みたいな理想がありますよね。もちろんそれを壊したいとかではないんですが、「こういう闇もまた、人間ですよね?」と言う人がいてもいいと思うんです。僕はパンクやロックも大好きでよく聴くんですが、激しい音に乗せて「ぶっ壊せ!」とか「死ね!」って言うより、こっちの方がもっとパンチがあるなと思っていて。

—そういう深い部分で共通の話ができるというのも、Komatsuさんと音楽を作ろうと思われた理由のひとつなんでしょうね。

山岡:それはありますね。具体的に「こういう歌詞を書いてほしい」とは一度も言ったことがなくて、その代わり「人ってなんだろうね?」とか「幸せってなんだろうね?」みたいな話ばかりしていました。これで彼女から「彼氏と手をつないでデートしてハッピー!」みたいな歌詞が来たら驚いただろうけど、それはないなとわかっていたので(笑)。

—このサウンドでその歌詞、逆に聴いてみたいです(笑)。すごく密度の濃い、そしてある意味で特殊な1枚の作品が生み出されたわけですが、リスナーの方にどう聴いてもらいたい、というような想いはありますか?

山岡:やっぱり、最初から最後まで通して聴いてほしいですね。じっくりとでも、何かしながらでもいいので、「この曲いいね」っていう聴き方よりは、全体を通して何かを感じてほしい。そういう時間を味わってもらえたらと思います。その中のどこかに、きっと聴いてくれた方に刺さる箇所があると思うし、全てが意味のある音の集まりになっていると思うので。

—まさにそういう作品だと感じました。聴く人の反応がものすごく楽しみでもありますよね。

山岡:すでに何人かに感想を聞いてみたんですけど、実は半分くらいの人に「聴けない」と言われてしまったんです。単にホラー的な怖さだけではなく、な歌詞の内容が自分ともろにリンクしてしまって「これ以上聴きたくない」と感じた人もいたかもしれない。その感想を聞いて「やったぜ!」と思いましたね(笑)。万人に広く「いいよね」と言ってもらえる作品はもちろん素晴らしいですが、人によってはすごく嫌悪するし、ある人にとってはものすごく突き刺さるみたいな作品を作りたいと思っていたので。


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ALBUM
「遺言桜」
2016.10.12
POCE-3086

【Profile】
山岡 晃とAkira Komatsuからなるプロジェクト。山岡 晃は、コナミ在籍中に同社のホラーアドベンチャーゲーム「サイレントヒ ル」シリーズの制作に関わったことで知られ、あらゆるタイプのメディアに強い関心を持ち、TVゲーム業界やインタラクティブなエンターテインメント分野のアーティストたちと次々とタッグを組み、自身の音楽活動のみならず、アーティストプロデュースや、映画・アニメ・テレビドラマの音楽を手がけるなど、様々な分野において国内外で精力的に活動している。Akira Komatsuの詳細は現在のところ、女性シンガーであるという以外、謎に包まれている。
http://gurecords.com/

清野とおる 「東京都北区赤羽」 インタビュー

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東京都は北区にある“赤羽”という街を舞台に巻き起こる信じられない出来事の数々と、奇妙な街人たちとの交流を描いて今大人気のノンフィクション 漫画『東京都北区赤羽』。作者の清野とおる先生に直撃インタビュー!




―早速ですが清野先生、最近ますます赤羽という街を転がしてますねぇ。

清野とおる:転がしてないですよ。転がされてます。底が見えない街ですね、赤羽は。

―僕が先生と初めてお会いしたのはちょうど『ハラハラドキドキ』(※1)の連載を終えられた頃でしたが、『東京都北区赤羽』の大ヒットで名実共に雲の上の人になってしまって。

清野とおる:何を言ってるんですか。ヒットしてないですよ。たまたま取り上げられてもらう機会が増えて、売れてる空気は出てるかも知れないですけど、実は全然売れてないですから。

―でもワンピースより人気だっていう新聞記事を読みましたけど…。

清野とおる:赤羽駅前の1軒の本屋さんに限ってですよ。

―個人的にも読者さん的にも気になるのが先生の日常だと思うんですが。

清野とおる:日常気になりますか? 地味なもんですよ。

―どのくらいの頻度で赤羽の街に繰り出されているんですか?

清野とおる:そんなにネタ探し目的で街を歩いたりしないんですよ。

―そうなんですか!?

清野とおる:赤羽って「面白い人を探そう」とか、そういう目で探しちゃうと絶対見つからないんです。だからなるべく自然体で普通に生活を。ちょっと昼飯食いがてらネームしようかなーくらいの感覚で外に出ると、面白い物が飛び込んで来たりするんですよね。

―でもネタを探さないと漫画的にきついというのは無いんですか?

清野とおる:まだ大丈夫ですね。ひとまず7巻分くらいまでは。

―ところで『東京都北区赤羽』は先生の初期の作風からすると随分変化してますよね。

清野とおる:はい。自分なりに一般受けを少なからず意識してるので。この漫画の中で一番脚色してるのってどこだか分かりますか? 1つすっごい脚色してる所があるんですよ。

―…清野先生ですか?

清野とおる:そうです。分かりました?

―今目の前にいる清野先生はこんな穏やかな目はしてないので(笑)。

清野とおる:こんないい奴じゃないんですよ。だから唯一脚色してるのは、漫画の中の清野とおるって奴です。

―(笑)それもすごいですよね。こんなにとんでもない事だらけの“赤羽”は脚色無しなのに!先生の顔を誌面でお見せできないのは残念ですが。

清野とおる:街人バンバン出しまくっといてなんですけど、穏やかに生きたいんですよ。

―しかしそんな先生ですが、街人にはすぐに気に入られますよね?

清野とおる:みんな寂しいんですよね街の人って。時間も持て余してるし、話相手もいないし。そんな中で率先して自分の話を聞いてくれる人が現れるともう霊能力者に自縛霊が集まって来るような感じで。みんな成仏したいんですよ。楽になりたいんですよね。




“こっち”と“あっち”ってあるじゃないですか。
あくまでこっち側からあっち側を観察し続けたいんですよ。





―僕がすごく思ったのは、作品に感じるこの狂った磁場のような物を発してるのは、赤羽ではなく清野先生自身なのでは? って事なんですけど。

清野とおる:いや、赤羽はやっぱりおかしいですよ。知り合いにも赤羽のおかしさに気付いてる人はいて、しかも自分から面白い事を探すと起こってくれないっていうのも知ってます。それとは別に、先日生まれも育ちも赤羽の50歳くらいのおじさんと飲む機会があったんですけど、そういう人たちはやっぱりみんな思ってるんです。「赤羽? 変わってるよ!」って。

―そうですか。先生自身が、少しずつ作中の赤羽住人の側に染まって来ているような気がして、それも心配だったのですが。

清野とおる:それはすごく重要なポイントなんですよ。“こっち”と“あっち”ってあるじゃないですか。あくまでこっち側からあっち側を観察し続けたいんですよ。だから僕、住民票も移してなくて、北区民じゃなくて板橋区民なんですよ。ちょっと怖いのが、ペイティさん(※2)が初対面の時とか、あまり会話が成立しなかったんです。言ってる事が3割くらいしか理解出来なくて、それがあるタイミングからもうふつう〜にやりあってる自分がいるんですよね。こっちがあっちに近付いたのか、それとも逆なのか。怖い事ですよこれは。

―気付かないうちにっていう怖さがありますね。そういえば以前譲って頂いたペイティさんの歌のテープ、聴いたんですよ。

清野とおる:何が入ってました?

―なんだかすごく、抑えた感じの、ちょっとカヒミ・カリィさんみたいな、ウイスパーボイスっていうんでしょうか? それでこう「ペイペイ…ペペペペイ」みたいな。

清野とおる:囁き系の。大抵そうなんですよ。

―そうですか…。自分のが特別当たりみたいのだったらどうしようかと無駄にドキドキしてしまいました(笑)。ところで僕は先生の短編集『ガードレールと少女』に収録されているような作品も大好きで、一番好きなのは『千絵と遊ぼう』(※3)なんですが。

清野とおる:そうですか? もう、持ち込んで怒られましたよそれ。「いや別に、いいけど、これを描く事によって君は…その先に何を求めたいの?」って。

―このオチを見たら、真っ当な編集者ならそう言うかも知れませんね。

清野とおる:はい、正しいです。これはもう、別に売れてもないし、10年やって来てダメな作風だったら捨てますよ。もううんざりです。ロクな思い出がないし、もう描かないです。

―そこまで!

清野とおる:でもこれを出してくれた彩図社には感謝してます。というか、よく出しましたよね。

―ところでUNGA!は音楽誌なので、好きな音楽を伺ってもいいですか?

清野とおる:赤羽繋がりで、エレファントカシマシは相当好きですね。

―宮本さんは赤羽出身ですもんね。

清野とおる:そうですね。まぁ、だから好きって訳じゃないんですけど、普段音楽を聴く時って歌詞はどうでもいいんですよ。でもエレカシは何か入って来るんですよね。歌詞に感動して、歌にも感動してっていう。宮本さんもデビューまでは順風満帆で、でも一度沈んでいた時期ってあったらしいんですよ。そのせいか分からないですけど共感出来る所もあって。

―以前フィッシュマンズも好きとおっしゃってましたよね?

清野とおる:好きですね。フィッシュマンズと、エレカシと、女性では椎名林檎ですかね。椎名林檎はいいですね。才能だけでのし上がって来たような感じが、イカしてますね。


※1:週刊ヤングジャンプにて2003年に連載。単行本全2巻。
※2:赤羽に頻繁に出没する女性ホームレス。清野先生が“孤高の天才アーティスト”として尊敬する人物。
※3:短編集『ガードレールと少女』に収録。奇声しか発しないスナックのママ千絵と子供たちがひたすら野球をする、不条理極まりない漫画

(interview:小林博之)


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「東京都北区赤羽(5)」
2010.9.16
Bbmfマガジン
http://usurabaka.exblog.jp/


※このインタビューは、UNGA! No.132(2010.8.31発行)に掲載された物です
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